綴-tuzuri-

雑記から論文、書評やその他諸々気の向くままに綴ります。コラムやエッセイ中心かも。

【エッセイ】幼期

久しぶりの投稿です。

一周ぐるりと回って、振り出しに戻った感じ。

ある友人が書いたエッセイをきっかけに、自分自身の幼少期から青年期までをふりかえってみたいと思い、久々に筆を取る。

 

小学生の頃は控え目にも社交的とは程遠い、物静かな少年だった。

今でいう「陰キャ」みたいなものだ。

写真撮影なんかでは中央列の端から3番目辺りを狙って陣取り、なるべく目立たない生活をしていた。

特定の友人とだけ慣れ親しみ、争いを嫌い、人の顔色を伺うのが少し得意な陰キャ

先生にはあまり好かれないタイプだ。

そんな中でも、人一倍秘めていたものが「競争心」と「我の強さ」である。

これは先天的な性格なのだと後々分かるのだが、この頃は特に好きなことでは負けることが嫌いであり、自分の意見が通らなければ拗ね散らかす絵に描いたような子供だった。

ある日、友人の友人F君と喧嘩をした時、顔に張り手をくらい泣かされた。

どうしても悔しい気持ちが拭えず、翌日の朝にF君の背中向けてドロップキックをかまし、大泣きさせたのは今でも鮮明に覚えている(当然、後に先生からこっぴどく怒られ泣かされた)

図工の時間の時、色々な材料を使って動物を作成する授業があったのだが、犬を作っていた私に先生がアドバイスをくれた。

そのアドバイスが全然納得出来ず、自分の犬像を力説し、ウンザリされた。

ある日、助走なしでどこまで遠くからドブを飛び越えられるか遊びをしていた際、上級生の飛んだ距離など超えれるはずもないのに果敢にチャレンジし、ドブに嵌って泣いた。

いつの日も、自分の殻に閉じこもっては気に入らないことがある度に反応し、自分の中に押し殺したり周囲に迷惑をかけたりと、中々に忙しいヤツだったな、と振り返り思っている。

 

中学に上がり、転機が訪れる。

入学して2ヶ月程経った時期、同じクラスの陽キャまっしぐら女子に気まぐれでジョークを言ったら大ウケ。

なんだかそれがとてつもなく心地よかった。

人と関わる事を極力避けてきた人生だったが、人と新しく関わることで得る喜びをその陽キャ女子は教えてくれた。

その事がきっかけとなり、色々な人間に対し、積極的に関わりを持つようになっていった。

そこで当時の友人Yと気が合い、影響される。

 

染めた髪の毛を整髪料で塗り固め、眉毛を剃り、制服のボタンをバカバカ開け、ポケットに手を突っ込みながら歩く私。

生活指導の先生は、まるで待ち合わせをしているかのように校門で私を待つ。

私は全く違う門から入る。すれ違いである。

 

周囲からは正気の沙汰ではないと奇異な目で見られる日々であったが、これが俺だ!と言わんばかりに、全く気にしなかった。

現代では絶滅危惧種とされようDQNを道端で見掛けると、今でこそ微笑ましく感じるが私の時代は違った。

明らかに痛い奴であり、関わりを持ちたくない不動のBEST1であった。

 

そんなパッパラパーが堂々と校内を歩いている姿を、プライドの塊のような上級生は黙ってない。

ある日10人くらいの上級生に呼び出されたが、行っても居なかった。

教育委員会に厳しく躾られた教師達は、逸早く情報を入手。

どこで聞いたのか。いつの時代でも、ゴシップという甘い蜜には虫が群がる。

半ば強制的に話し合いをしろとの事で会議室みたいな場所へ連行された。

10人が20人に増えていた。

 

昔から敵を作りやすい性格なのか、一旦仲良くなると四六時中一緒にいることが多かった。

夜は改造された原動付き自転車を乗り回し、気に入らないことがあれば突っかかっていく。

今思えば、中学、高校時代が一番自由に、好き勝手に生きていたかもしれない。

 

まじめな話しをすると、自由に生きることは理想であり、生物としての本能的な目的でもあると私は思う。

ただ、決して他人に迷惑は掛けてはいけない。

社会人が大好きな単語のひとつに責任という言葉があるが、自由に生きることは、責任を担うということでもある。

 

ただただ救いようもないアホタレだった私は、将来の進路なぞ考えもしたことがなかったのだが、またまた転機が訪れる。

 

高校生活は、私という人物を形成する土台になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また気が向いた時に、高校編書きます。